障害者との向き合い方

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こんにちは介護士2年目の山本です!
日々訪問介護の業務をやらせていただく中で
ご利用者様とヘルパーの関係性について
色々と考える事があります。

「普通」という決めつけ

私たちはよく「普通は○○だよね」なんて言い方をしますね。
しかし、「普通」とは一体どんな人?事?状態?をさすのでしょう?

「普通は目玉焼きにはお醤油をかけるよね?」
「普通は右利きだよね?」
「普通は朝ごはん食べるよね?」

私にとって「普通」であることは他人には「普通」ではありませんね。
世の中のほとんどの事は「人それぞれ」と言ってよいでしょう。

ですが私も含めて沢山の人が「健常者=普通、基本」というような
イメージや先入観を持っているのではないでしょうか?

日本語が喋れて当たり前?
ご飯を食べられて当たり前?
身体も精神も健康で当たり前?
仕事が出来て当たり前?

訪問介護ヘルパーをやってみて感じたことは
脳性麻痺、精神疾患、肢体不自由、病気、怪我など
様々な理由で障害を抱えて生きている人が沢山います。

このような状況はいつだれがなってもおかしくありません。

人と比べない事

私たちは仕事をしたり、学校に通ったり、様々な組織に属している中で
SNSや売り上げ、成績など色々な事を人と競い合ったり
比較検討している事が多いです。

「こっちの商品の方が安い」
「こっちの料理の方がおいしい」
「この人の方が素敵だ」
「この楽器の方が良い音がする」

比較検討する事は冷静に判断したり、
客観的に良いところと悪いところを見極めるには
良い方法だと思います。

ですがもっと長い目で見て、人とのつながりとか
関係性を考える時に
お互いに比較検討していると
人間関係がギスギスしてしまったり
あ互いの悪いところが目に付く
ようになってしまいがちです。

まして障害を持っていたとしたら?

自分自身でも悪いところばかりを探してしまい
他人と自分を比較して自己嫌悪に陥ってしまいます。

相対評価から絶対評価へ

他人との比較による「相対評価」ではなく
存在そのものをあるがままに認める「絶対評価」という
価値判断をしていくと様々な見え方や価値観が変わっていくのではないでしょうか?

目の前にいる人間は一人一人尊い存在で
一人として同じ人間はいない。
存在そのものに心を開いて
まっすぐに向き合っていこう。

こういう考え方をすることで
目の前にいるご利用者様それぞれの時間軸で
物事を見ていけるように思います。

その方の変化にもより細かく気づくことが出来るようになります

ご病気を抱えていたり、
精神疾患を患っていたり
脳性麻痺、脊椎損傷、発達障害など

様々な障害の中でその人の人生や生き方などがあります。
彼らのQOLを豊かに過ごしたいと思います。

まずは自分自身の幸せが大切

介護=他人の生活に介入し、護もる

ヘルパーは業務の性質上他人の事に介入していく事になります。
しかしそれ以前にヘルパー自身が人として安定して
充実していなければ他人に対してゆとりをもって接していく事が
難しいでしょう。

自分自身がイライラしていたり健康でなかった場合
相手への接し方、良い支援をする余裕がありません。

私なりの言い方でいうと
「思考の余白」が必要だと考えています。

ヘルパー自身に人間としての軸があり
専門知識やスキルがあることはとても素晴らしい
ですがそれだけではご利用者様との人間関係を
柔軟に気づいていく事は難しいでしょう

人としての軸があったうえで
相手を受け入れるだけの余白が必要だと感じます

「相手の立場に立つ」ためにはそのような余白があることで
自分と違う環境や考え方に

共感し傾聴し

初めて寄り添うことが出来ると思います。

彼らは教えてくれている

支援者としての在り方を考える上で
「彼ら」が私達ヘルパーにそのヒントを伝えてくれているのだ
と感じる事があります。

発達障害をもって喋れない方の支援では
かれらの意思表示は表情の変化や行動です。

そのメッセージをきちんと受け取ることができるか?
それを問われているように感じます。

「人間として生きる」ためには障害の有無や
社会的地位や年齢、性別は一切問われません。

それは日本国憲法の前文で宣言されています。

つまり人としての生き方を私たちは逆に彼らから
教えていただいているんだ
ととらえる事が出来ます

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